日本学術会議法案に反対する会長声明
政府は、2025年3月7日、「国の特別の機関」とされている現在の日本学術会議(以下「学術会議」という。)を
廃止し、国から独立した法人格を有する組織としての特殊法人「日本学術会議」(以下「新法人」という。)を新設
すること等を内容とする日本学術会議法案(以下「本法案」という。)を閣議決定し、衆議院に提出した。
本法案は、同年5月13日に衆議院本会議で可決され、現在、参議院において審議中である。
しかしながら、本法案は、学術会議の独立性及び自律性を大きく損なうものであり、憲法23条が保障する学問の自由の
観点から極めて重大な問題がある。
憲法23条が保障する学問の自由は、戦前・戦時下における学問弾圧の歴史への反省を踏まえ、個人の学問の自由のみならず、
その存立基盤となる科学者のコミュニティ(学問共同体)の独立性及び自律性もまた保障されるべきであるという趣旨を含む。
学術会議は、このような憲法の趣旨に基づき、「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、
産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」を目的とするナショナル・アカデミーとして創設されたものであり、これまで
時の政治権力から独立した立場で、政府に対し、科学的根拠に基づく政策提言や勧告を行う役割を果たしてきた。本法案が
成立すれば、上記のような重要な役割を果たしてきた学術会議の根幹が揺らぎかねない。
本法案の主な問題点は、以下のとおりである。
1 独立性・自律性を損なう外部介入の仕組み
本法案の最大の問題点は、現行法3条が定める学術会議が職務を「独立して」行うという文言が踏襲されておらず、政府を
含む外部の介入を許容する新たな仕組みが幾重にも盛り込まれていることである。具体的には、会員以外の者から構成される
選定助言委員会 (本法案26条、31条。以下の条項は本法案のものをいう。)や運営助言委員会 (27条、36条)、内閣府に
置かれ内閣総理大臣が任命する日本学術会議評価委員会 (42条3項、51条)、及び内閣総理大臣が任命する監事 (19条、23条)
といった各機関の設置である。これらの機関は、会員選考や組織運営、活動計画、予算、自己点検評価、業務監査等について、
政府を含む外部の関与を広く可能にし、学術会議の独立性・自律性に対する重大な脅威となりかねない。さらに、内閣総理大臣の
是正措置権限(50条)も新法人の活動における独立性を損なうものである。
2 会員選任方法の問題点
学術会議をはじめ諸外国の多くのナショナル・アカデミーが採用するコ・オプテーション(現会員が会員候補者を推薦する方式)は、
会員の質や活動の連続性を確保する標準的な方式である。しかし、本法案では、会員候補者の選定に際して、「会員、大学、研究機関、
学会、経済団体その他の民間の団体等の多様な関係者から推薦を求める」などの「必要な措置を講じなければなら」ず(30条2項、
附則7条3項)、また、「行政、産業界等との連携による活動」等の実績のある科学者が含まれるよう「配慮しなければならない」と
されていることから(30条4項3号)、コ・オプテーション方式が実質的に損なわれるおそれがある。
さらに、新法人発足時の会員選考では、会長が任命する候補者選考委員会の委員任命に際し、内閣総理大臣が指名する有識者と
協議しなければならないとされており(附則6条5項)、新会員の選考が現行会員の推薦に基づくものではなくなるおそれがある。
他方、新法人発足時に任期を残す現会員は、3年後に再任されないとされている(附則11条)。
これらの選任方法により、新法人は現在の学術会議との連続性が途絶えることとなり、時の政治権力から独立した立場で科学的根拠に
基づく政策提言を行うという任務を遂行できるか大きな懸念が生まれることとなる。
3 財政基盤の不安定化
現行法は学術会議の財政について国庫負担の原則を定めているが、本法案は、政府が予算の範囲内で必要と認める金額を補助することが
できるにとどまる(48条)。そのため、新法人には自主的な財政基盤の強化が求められ、ナショナル・アカデミーとして安定した
財政基盤を維持するための国家財政支出が確保されなくなることが強く危惧される。財政基盤の不安定化は、活動面での独立性を損なう
可能性も否定できず、政府の期待に応える活動計画でなければ十分な補助が得られないおそれもある。
4 現行法前文の削除
本法案からは、戦後間もなく制定された現行法の前文に相当する規定がなくなり、そこにうたわれた科学者の初心に基づく学術会議の
使命が見失われることが危惧される。
5 任命拒否問題の放置
さらに、本法案は、2020年10月に菅義偉内閣総理大臣(当時)が学術会議会員候補者6名の任命を拒否した問題を放置したまま
進められており、これは任命拒否問題を糊塗し、問題を更に深刻化するものであって、到底看過できない。政府は、未だ任命拒否の理由を
示しておらず、問題点は現在も是正されていない。当会は、2020年10月27日付で「日本学術会議推薦候補者の会員任命拒否に
抗議する会長声明」を発しており、任命拒否問題を是正することなく、むしろ会員選任という人事への外部介入を制度化するかのような
本法案を容認することはできない。
本法案には以上のような問題点があるにもかかわらず、衆議院内閣委員会はわずか3日間の審議で採決してしまった。同委員会で
附帯決議がなされたものの、本法案の問題を解消するものではない。
よって、当会は、本法案に反対の意思を表明し、政府に対し、本法案の撤回及び2020年10月の学術会議会員候補者6名の
任命拒否を是正してその正常化を図ることを強く求め、参議院に対し、本法案の問題点を徹底的に審議し、問題点の改善が
なされない限り廃案にすることを求める。
2025年(令和7年)6月3日
新潟県弁護士会
会長 今 井 慶 貴