「生活保護法の一部を改正する法律案」の廃案を求める会長声明
政府は、本年5月17日、生活保護法の一部を改正する法律案(以下「改正案」という。)を閣議決定し、国会に提出した。
この改正案は、後述のとおり、いわゆる「水際作戦」を合法化し、さらには、要保護者をより一層委縮させることにより、
保護申請自体を抑制する効果を与えるという看過しがたい問題を孕んでいる。
まず、現行生活保護法(以下「現行法」という。)は、保護の申請について書面によることを要求しておらず、申請意思が
客観的に明白であれば口頭による申請も有効であるとするのが確立した裁判例であり、また、申請の際に、要否判定に必要な
書類の提出も義務付けてはいない。
しかし、実際には、全国の福祉事務所の窓口において、要保護者が生活保護の申請意思を表明しても申請書を交付しなかったり、
疎明資料の提出を求めて申請書の受理を拒否するという違法な運用(いわゆる「水際作戦」)が少なからず見受けられる。
新潟市においても、要保護者が申請意思を表明したにも関わらず申請書を交付しなかったため、やむなく市長宛の手紙を出し
困窮状態を訴えた結果、ようやく申請書が交付された事例がある。この事例においては、申請者から審査請求がなされ、
2002年(平成14年)1月29日、新潟県知事は、保護の申請が要式行為ではないことを踏まえ、申請書の受領日を保護の開始日
とした同市福祉事務所長の決定を取り消し、市長宛の手紙の到達日を保護の開始日とする裁決をしている。
ところが、改正案第24条1項は、生活保護の申請は、「要保護者の資産及び収入の状況」その他「厚生労働省令で定める事項」を
記載した申請書の提出をもってしなければならないとして要式行為化し、さらに同条2項は、申請書には「厚生労働省令で定める書類を
添付しなければならない」として、要否判定に必要な書類の添付までも必須の要件としている。
このような改正がなされると、添付書類の不備等を理由として申請を受け付けない取り扱いが合法的に行われることになり、まさに、
これまで違法とされてきた「水際作戦」が合法化されることになる。
生活保護の申請のため窓口を訪れる人の中には、家庭内暴力や虐待から逃げてきた人や、住む所がなく路上生活をしている人など、
逼迫した事情を抱えている人たちも少なくない。こうした人たちに詳細な申請書の記載や添付書類の提出を求めることは極めて困難
であり、妥当ではない。
次に、改正案第24条8項は、保護の実施機関に対し、保護開始の決定をしようとするときは、あらかじめ、扶養義務者に対して、
厚生労働省令で定める事項を通知することを義務付けており、さらに、改正案第28条2項は、保護の実施機関が、保護の決定等に
あたって、要保護者の扶養義務者等に対して報告を求めることができるとしている。また、改正案第29条1項は、過去に生活保護を
利用していた者の扶養義務者に関してまで、官公署等に対し必要な書類の閲覧等を求めたり、銀行、信託会社、雇い主等に報告を
求めることができるとしている。
しかしながら、現行法下においても、保護開始申請を行おうとする要保護者が、扶養義務者への通知によって生じうる親族間の
関係悪化を恐れ、申請を断念する例も少なからず見受けられる。したがって、改正案によって扶養義務者に対する通知が義務化され、
調査権限が強化されることになると、要保護者の保護申請に対し、より一層の委縮効果を及ぼすことは明らかである。
扶養義務者の職場の雇主にまで報告を求めることができることについては身内で生活保護申請者が出たことを告知されるに等しい
対応であり、扶養義務者自身のプライバシー保護の見地からも、許されるべきではない。
改正案に対する批判の高まりを受けて、厚生労働省は、「必要な場合は口頭申請も認める」、「書類の提出は保護決定まででよい」、
「扶養義務者への通知は極めて限定的な場合に限る」などとして、従来の取扱いを変更するものではないとの弁明をしている。しかし、
改正案の文言上、そうした解釈自体困難であるし、仮に、そうした取り扱いを法律の下位規範である省令等をもって定めるとすれば、
改正案の内容に正当性がないことを自ら自認することになる。いずれにせよ従来の申請手続の根本を変えることに変わりはない。
この点について、厚生労働省社会・援護局長は、自治体の調査権限強化などの反映として、内閣法制局から、入り口である申請も、
法律上の位置付けをきちんとしなければならない旨の助言があった旨説明した、と報道されている。
しかし、申請の厳格化と申請受理後の調査権限の強化とでは全く問題が異なり、後者の強化に加えて前者も厳格化するならば、
不正受給とは関係のない多くの要保護者までもが保護の利用が困難となる。
また、審議会だけでなく与党にさえ図らず、厚労省と法制局だけでこのような重大な条項の挿入を決定したとすると、その手続の
過程にも民主主義の観点からも看過しがたい問題がある。
国連経済的、社会的および文化的権利に関する委員会(社会権規約委員会)も、本年5月17日第50会期(2013年4月29日~5月17日)
に採択された、日本の第3回定期報告書に関する総括所見において、生活保護の申請手続を簡素化し、かつ申請者が尊厳をもって扱われる
ことを確保するための措置をとるよう勧告している(日本語訳:社会権規約NGOレポート連絡会議」)。
当会は、2012年(平成24年)10月17日付意見書において、生活保護基準が下がれば、現にぎりぎりの生活をしている生活保護
を利用している人たちの生活費が減額され、また、生活保護の受給がより困難になる結果、多くの低所得の人たちの生活が危機にさらされ、
その生命、健康にもかかわる取り返しのつかない結果を招きかねないことを指摘し、生活保護基準を引き下げることに対し強く反対することを
表明した。それにも関わらず、政府は、世帯構成によって最大10%に及ぶ生活扶助費の引き下げを、本年8月から強行しようとしている。
生活保護基準の引き下げに加えて、今回の改正案が成立し施行されれば、多くの要保護者が、保護の利用自体も困難になり、多数の自殺・
餓死・孤立死等の悲劇を招くおそれがある。
こうした施策は、憲法25条で定める生存権保障を空文化させるものであって、到底容認できない。
厚生労働省によると、新潟県において生活保護を利用している人数は、昨年2月時点で8604人であったのに対し、本年2月時点では、
9025人に上っており、1年間で421人も増加している。
また、平成22年4月9日付けで厚生労働省が公表した「生活保護基準未満の低所得世帯数の推計について」によれば、生活保護の
捕捉率(制度の利用資格のある者のうち現に利用できている者が占める割合)は2割ないし3割程度と推測される。
したがって、本県においても、現に生活保護を利用している人の人数を相当数上回る要保護者が存在し、増加を続けているものと推定される。
このような状況の下で上記の施策が実施された場合、多くの県民の生命、健康が損なわれることになりかねない。
よって、当会は、改正案の廃案を強く求めるものである。
2013年(平成25年)5月29日
新潟県弁護士会
会長 味 岡 申 宰